「歯列矯正をしたいけれど、健康な歯を抜くのはどうしても抵抗がある」。これは、矯正治療を検討する多くの人が抱く、ごく自然な感情です。美しい歯並びのために、何の問題もない自分の歯を失うという決断は、決して簡単なものではありません。幸いなことに、現代の矯正治療では、必ずしも抜歯が必須というわけではなく、「非抜歯矯正」という選択肢も広く認知されるようになりました。しかし、この非抜歯矯正は、誰にでも適用できる魔法の治療法ではありません。そこには、いくつかの厳格な条件が存在します。非抜歯矯正が可能なケースとしてまず挙げられるのは、歯のガタガタ(叢生)や隙間が比較的軽度な場合です。歯を動かすためのスペースが少しで済むため、歯を抜かずに対応できる可能性が高まります。また、もともと顎のアーチが大きく、歯を並べるためのスペースに余裕がある人も、非抜歯矯正の適応となりやすいでしょう。では、どのようにして歯を抜かずにスペースを生み出すのでしょうか。その代表的な方法が三つあります。一つ目は「IPR(歯間隣接面削合)」です。これは、歯のエナメル質の範囲内で、歯と歯の間をやすりのようなものでわずかに(0.5mm程度)削り、スペースを作る方法です。二つ目は「歯列の側方拡大」。これは、歯列のアーチを横方向に広げることで、歯が並ぶための土台そのものを大きくするアプローチです。そして三つ目が、近年技術の進歩で注目されている「臼歯の後方移動」です。歯科矯正用アンカースクリューという小さなネジを固定源として、奥歯全体を後方へ動かし、前歯が並ぶためのスペースを前方に作り出す方法です。これらの方法を駆使することで、非抜歯での治療の可能性は広がりました。しかし、最終的に非抜歯が可能かどうかは、口元の突出感や横顔のバランス、そして精密検査による骨格の分析などを総合的に判断して決まります。自己判断はせず、まずは専門医に相談し、ご自身の状態が非抜歯矯正の適応症例なのかを正確に診断してもらうことが、後悔のない治療への第一歩です。