歯列矯正治療の過程において、患者さんが口腔内から「ミシミシ」「キシキシ」といった異音を自覚することがあります。これらの音は、多くの場合、歯の生理的な移動や矯正装置の機械的特性に起因するものであり、臨床的に大きな問題とならないケースがほとんどです。しかし、稀に装置の不具合や過度な矯正力、その他の病理的変化を示唆する場合もあるため、歯科医師はこれらの音の訴えに対して適切に評価し、対応する必要があります。異音の発生メカニズムとして最も一般的に考えられるのは、歯槽骨内における歯の移動に伴う組織変化です。矯正力が歯根膜を介して歯槽骨に伝達されると、圧迫側では骨吸収が、牽引側では骨添加が生じる骨のリモデリングが起こります。この骨組織の微細な破壊と再生の過程で、音が発生する可能性があります。また、歯根膜自体の伸展や圧縮、あるいは歯と歯槽骨の間の微小な線維結合の変化なども音源となり得ると考えられます。これらの音は、歯が積極的に移動している時期、特にワイヤー交換やエラスティックゴムの使用開始など、新たな矯正力が負荷された際に顕著になる傾向があります。次に、矯正装置自体からの発音も考慮されます。ブラケットとワイヤーの摩擦音、アーチワイヤーのわずかな変形に伴う音、あるいは各種補助装置(スプリング、フックなど)の作動音などが挙げられます。これらの音は、材質の特性や装置の設計、口腔内の湿潤環境など複数の要因によって生じます。特にマルチブラケット装置では、多数のコンポーネントが複雑に組み合わさっているため、様々な種類の機械音が発生する可能性があります。患者さんが異音を訴えた場合、歯科医師はまず問診により、音の性質(種類、大きさ、頻度、発生状況)、随伴症状(疼痛の有無や程度、種類、部位)、装置の違和感などを詳細に聴取します。その上で、視診、触診、打診、X線検査などを必要に応じて行い、音の原因を鑑別します。確認すべき主な項目は、矯正装置の破損・脱離・変形、ワイヤーの破断や端の突出、早期接触や咬合性外傷の有無、歯の動揺度の異常、歯肉の炎症や歯周ポケットの変化、歯根吸収や歯髄炎の兆候などです。多くの「ミシミシ音」は、治療が順調に進行している生理的範疇の現象であり、患者さんにはその旨を説明し安心させることが重要です。
歯列矯正時の異音?臨床的視点と患者への対応